パンタレイという言葉があります。ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(BC 540 - 500)が言った言葉で、"万物は流転する" という意味です。大陸や氷河は何千万年、何億年の間には少しずつ移動しますし、逆に水などはあっというまに移動して流れてしまいます。固体と思われる物質も長時間かけて観察すれば、液体的に振る舞いますので、どの程度のタイムスケールで観察するかが重要となります。
レオロジーは、一般には "物質の流動と変形の科学" と定義されています。レオロジーという言葉は、1930年ごろから使われはじめました。レオロジー(rheology)のレオ(rheo)は、ギリシャ語で "流れ"を意味します。レオロジーの研究は、高分子化学、塗料、油脂などの工業分野での研究、技術の進歩とともに発展してきました。
一方、バイオレオロジー(biorheology)は、生体および生体を構成する物質の流動と変形の科学ということができます。生体および生体を構成する物質ということで、人間を含むすべての動物と植物が対象となり、それらを構成する物質全てが対象となります。例えば、血液、血管、心臓などの各臓器、骨、皮膚、毛髪、筋肉、細胞、生体粘液、たんぱく質やDNA溶液、あるいはでんぷん、ゼラチン、寒天、ミルク、チーズなどの食品、羊毛や麻などの天然繊維など、多くの日常生活に関係したものが考えられます。
バイオレオロジーは医学とも深く関係しています。血管、血液、各種臓器、各種器官の病態におけるレオロジー特性、レオロジー的な立場からの各種器官の病態発現との機構の解明など基礎および臨床医学にとっても重要な課題が多くあります。例えば、動脈硬化や動脈瘤などの血管病変、血栓症、臓器微小循環障害、冠循環などが非常に広い範囲の問題が研究の対象となります。
バイオレオロジーはバイオメカニクスや医用工学の研究分野とも関連する境界領域の学問です。あまり分野や研究テーマにとらわれず、生命現象あるいは生体を構成する物質を物理、工学的手法を用いて研究している研究者の集まりが本学会であるといえましょう。
本年6月の年次総会より日本バイオレオロジー学会の第23期理事長に就任いたしました。ご存じの通り、本学会はバイオレオロジー研究のパイオニアである岡 小天先生(1907?1990)が中心となって1977年12月に設立されました。歴代の理事長をはじめ会員の皆様が45年以上にわたり紡いでこられた輝かしい歴史、醸成されてきた素晴らしい伝統を次世代に発展的に継承するべく尽力したいと存じます。バイオは生命を表し、レオロジーは物質の流動と変形を扱う学問分野を表します。すなわち、バイオレオロジーは「生体および生体を構成する物質の流動と変形の科学」と定義することができます。要素還元論の立場に立つと、生命現象はそれを構成する細胞、分子、遺伝子レベルの物理・化学的原理により説明できる、とされます。「生命現象のダイナミズム」と言われるように、その源泉はこうした素過程のダイナミクスにあります。生命の定義は内外を区別する細胞の活動により自己増殖および代謝を行うことですが、生命ダイナミクスのもう一つの本質はさらに外界への適応そして進化であると言えます。すなわち、生命現象は普遍的な側面をもつ一方で多様性に富んでおり、その理解には環学的(Trans-disciplinary)な研究が不可欠です。本学会の取り扱う基礎学問領域は医学、生物学、工学、理学などを含み、研究対象は血液レオロジーから食品工学まで多岐にわたります。バイオレオロジー研究をさらに深化させられるよう会員の皆様とともに、各々の学問領域における「知」を結集して「総合知」化し、本学会をバイオレオロジーの「総合知の場(プラットフォーム)」として発展させていきたいと存じます。
「万物は流転する(Panta Rhei、パンタ・レイ)」という名言で知られる古代ギリシャの自然哲学者ヘラクレイトスは、物事の変化は対立によって起こる、正反対に見える要素が対立することで変化が生まれるが全体としては調和を保っている、と考察したそうです。生命現象にも、同化と異化(合成と分解)、収縮と弛緩、増殖と減衰など相反する機能が存在することは、ヘラクレイトスのこの至言を想起させます。ヘラクレイトスの自然哲学思想は、自然、人間や世界の根本原理を深く探求する哲学の基礎を築いた哲学の祖と言われるソクラテス、哲学的解釈を通した体系的研究によって多くの科学分野の基礎を築いた万学の祖と言われるアリストテレスに影響を与えたと言われていますが、2,500年後の私達にも影響を与え続ける先人の「知」に驚きと敬意を感じずにはいられません。ソクラテスの弟子であるプラトンはアテネ郊外の地「アカデメイア」に学園を設け、これは現在の研究機関を表す「アカデミア」の語源となっていることはご承知の通りです。ヘーゲルによって定式化された弁証法も古代ギリシャ哲学で初めて登場しました。本学会の特色は「多様性を包摂する場」であることです。学会の議論において異なる立場、異なる見方がある場合は、弁証法的により高い次元の考察へと垂直展開することができます。ギリシャの賢人達が事物の本質に迫ろうとしたように、レオロジーの立場から「生命現象のダイナミズム」を探求し続けたいと存じます。
本学会では、血管内治療、循環器系ダイナミクスと疾患、血液レオロジーと微小循環、細胞・分子のメカノバイオロジー、ティッシュエンジニアリング・人工臓器、生体物質の構造形成と機能発現・制御、食品およびソフトマターのレオロジーを主要テーマとして積極的に取り組んでいます。学会活動として、日本バイオレオロジー学会年会、バイオレオロジー・リサーチ・フォーラム、レオロジー討論会(日本レオロジー学会と共同主催)を開催しています。また、学会誌として和文学会誌B&Rおよび英文学会誌Journal of Biorheologyを刊行しています。さらに、国際的活動としてThe International Society of Biorheologyと協働し、ESCHM (The European Society for Clinical Hemorheology and Microcirculation)-ISCH (The International Society of Clinical Hemorheology)-ISB (The International Society of Biorheology)の3学会合同国際会議に運営面も含めて積極的に参画しています。こうした学会活動において、バイオレオロジー研究の将来を担う若手研究者の育成、国内外に向けた積極的な情報発信は極めて重要です。本学会のさらなる発展のため、会員の皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
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NPO法人 日本バイオレオロジー学会
理事長 大橋 俊朗
北海道大学大学院工学研究院・教授
Email: ohashi@eng.hokudai.ac.jp
令和5年11月1日
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